歩ける医療的ケア児☆自己紹介
2021年度現在、小学校2年生の娘は、医療的ケア児です。
最近、「医療的ケア児」を新聞、テレビなどでやたらと目にするけど、娘のようなタイプについては、いわゆる「医療的ケアの専門家」から、わかってもらえない、と感じてきました。
娘の医療的ケアは、気管切開と胃ろうです。
将来的に医療的ケアが不要になる見通しはありません。
気管切開に関しては、鼻口呼吸がほぼ無理で、生後数時間で気管切開を受けました。
カニューレが抜けると即命に関わります。
胃ろうに関しては、数mlというごくわずかな量は飲める可能性があるけど、水分・栄養ともに胃ろうから全て注入する必要があります。
医療的ケアの専門家から、特に"わかってもらえない“と感じたのは、『セルフケア』に関してです。
どうやら、一部の専門家には、“医療的ケア=介助者がやってあげること/大人による管理が必要“という思い込みがあるようで、娘が、医療的ケアが必要な自分の体を自分で理解して管理する、といったイメージがないようです。
私は、医療的ケアは、子どもが成長に伴い身につける身辺自立(自分の身の回りの事を自分でできるようになること/食事、着脱、排泄、身だしなみなど)と同じようだと感じてきました。
例えば、トイレトレーニングのように、医療的ケアも、ある日突然できるようになるのではなく、失敗を経ながら、段階を踏んで、ある程度時間をかけて身につけてゆくものなのではと思っています。
“安全・安心“ばかりを強調し、段階を踏ませないと、身につかない、もしくは、身につけるのが大変になるのでは、とも思います。
娘を通して、本当にたくさんの医療や医療的ケアの専門家に関わってきて、子どもの育ちや、保育・教育の視点がない人、子どもの生活場面をイメージできていない人があまりにも多いと感じてきました。
私は、障害のある子どもの療育に20年ほど従事してきたので、子どもの発達について多少知識があります。
だから、医療領域の専門家が言ってくる内容について、本当に必要なことか、そうすべきか、自分の中で取捨選択してきました。
でも、知識がなかったら、専門家が言うんだったら“そうかな“と思ってしまったと思います。
医療的ケアがあっても、いち「子ども」なのに、医療の専門家ばかりとしか関わらない、もしくは、医療の専門家の意見が絶対になる環境下に子どもをおくのは本当に危険だなと思ってきました。
医療的ケア児であっても、医療的管理下に置くだけでなく、保育や教育の専門家に出会う機会を保証してほしい。
保育や教育の専門家の視点も重視してほしい。